招き猫先生の『ことちか日記』H31 1/30

拙ブログご愛読の皆様、ご存じだろうか。今年のお年玉付き年賀はがきの3等「お年玉切手シート」のことである。

毎年、干支の柄の切手シートをイメージされる方も多いかと思うが、今年はなななんと「招き猫」である。国民的な行事であるお年玉付き年賀はがきに「招き猫」が採用されるなどは、わが招き猫一族の誉れである。

かく言う吾輩も、毎年当たりの確認などまったくしない「ものぐさ」であるにも関わらず、今年に関しては目を皿のようにして確認、再確認まで行った。

おかげさまで、7枚の切手シートが手に入った次第である。賀状をお送りいただいた皆々様に感謝感謝である。

お気楽な話題で恐縮である。

本日はここまで。

 

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招き猫先生の『ことちか日記』H31 1/29

画像は先週の土曜日、長崎日大高校同窓会役員会の新年会の様子である。
一回生の大先輩から、吾輩(十三回生)の世代、現会長の本田さん(二十五回生)まで幅広く集まり、和やかに新年会が実施された。

画像は、政界・財界のそうそうたるメンバーである。野上理事長にもご出席いただき、お得意の「だじゃれ」連発の楽しいスピーチをいただいた。

保護者の皆様と教職員が生徒諸君を支える両輪であるのと同様に、育成会と同窓会は長崎日大を支える両輪である。

創立50周年を経て思うことは、学園にしても同窓会にしても本当にここからが熟成し、独自の歴史と伝統、そして文化を構築し継承していく時代に入っていくのではないかということだ。

同窓生でもあり、学校の職員である吾輩としては人一倍同窓会に対する愛着と感謝の念を抱いている。多くの先輩方、同輩諸君、後輩の皆さんに報いるためにも「私は長崎日大の卒業生です。」と胸を張れる学校であり続けたいと思う。

それぞれの世代の生徒・保護者・教職員、関係の皆々様による「長崎日大の頑張り」によって、現時点における「世の評価」をいただいているとすれば、その評価を1㎜ずつでも高めるべく努力するのが在校生をはじめとする「現時点での長崎日大」の使命であると考えるのである。

本日はここまで。

 

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招き猫先生の『ことちか日記』H31 1/28

長崎日大の校門を入り、校舎に向かう坂道(「日大坂」とも「桜坂」とも称されている)を登ったところに、卒業記念品として黒板大の掲示板がある。

先週ふと眺めると味のある文言に目がとまった。そこには「やらされる百発よりもやる気の一発」とある。深い意味はともかく、何となく元気のいいことばだなと。

厳寒の中、インフルエンザの流行等心配される昨今であるが、長崎日大の全員が、特に国公立の二次個別入試や私大の一般入試を控えた高3諸君の「やる気の一発」を期待したいものである。

本日はここまで。

 

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招き猫先生の『ことちか日記』H31 1/25

インフルエンザの流行~今週末の寒波などが懸念される今日この頃であるが、愛する1年1、2組諸君は元気いっぱい!である。

体育の時間をのぞいてみると、2月に実施される「マラソン大会」に向けて持久走を頑張っていた。
ふと見ると、色鮮やかなオレンジのウエアが混じっている。軽やかな走りである。よくよく見ると、1組の担任であり2組の英語担当でもある「ぐっさん」こと、宮口匠邦先生であった。その他、体育科の先生方の伴走とともに、生徒諸君がにこやかに走っている。

「なんだか、いい光景だなぁ」としばし眺めていた。

そこで、吾輩が目を留めたのが画像にある、見学をしているひとりの男子生徒である。その生徒は、走りながら暑くなった仲間が渡すジャージの上着を受け取っているだけでなく、丁寧にたたんでペンチの上に並べているのである。

誰から頼まれたわけでもないだろう。そのような行動ができる生徒を吾輩は心から尊敬する。このように長崎日大には心根の優しい生徒が数多く入るのである。

それぞれの青春時代、うまくいくときもあれば、いかないときもある。笑顔ばかりでは過ごせないこともあるだろう。しかし、すべて含んでこの素晴らしい生徒たちと一緒に走って行きたい(マラソン大会では絶対に一緒に走ることはできないが)と思ったひとときであった。

本日はここまで。

 

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招き猫先生の『ことちか日記』H31 1/24

国公立大学の二次個別に向けての準備が進んでいる。国語の先生を生業としている吾輩としても及ばずながら数名の生徒のお手伝いをしているところである。

ここに来てつくづく思う。2020年に迫った大学入試改革において、現行の学習の必要性が失われるわけではないが、従来型のみでは対応が困難な入試形態になることは確実である。また、すでにそれは始まっていると。

(イメージとしては)私大の医学部医学科の面接によく見られるようになった「対応のトレーニングができない(正解のない)」問いである。このスタイルが様々な入試において問われている。

「不明瞭で、つかみどころのない変化に対応する」
そのためには、各教科において指導する際の「意識の転換」ではなく「意識の添加」が必要だと思われる。

これは受験教科に限ったことではない。
すべての教科、それだけでなく部活動や生活全般に関わる領域において「意識の転換」と「意識の添加」が必要だと思われる。

具体案として「言葉化」である。「言葉化」には、知識と理解、具体化と抽象化(一般化)、帰納と演繹などの思考回路と語彙力などの言葉の技術が必要である。そしてもっとも重要なのは「慣れ」→「習慣」である。

その完成度の目安は国公立大学の推薦、A0入試の面接・小論文に対応できるレベルを想定すると理解しやすいかと思われる。

そして、それは「教養」につながる。
つまり、「何をどれほど身に付けたか」ではなく、「何をどれほど身に付けていようが、それを活用して、社会性のある形で(他人に理解可能な言葉で)自分の考えを述べる能力がどれほどあるか」を問うているわけである。それなら、ここで必要とされるものこそ、まさに「教養」としか言い表せないものだと言えるだろう。

本日はここまで。

 

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