招き猫先生の『ことちか日記』H27 11/13

今日は週に一度の国語の朝テストの日である。二学期は全体を通して「小説を読み解く上で必要な」ことちか単語第二弾を進めてきた。二学期の期末考査でその修得の度合いを試すのである。ここでしっかり取れないと冬休みに吾輩から「追い込まれる(逆に吾輩が追い込まれるかも?)」のである。

本日の朝テストの出題内容は、

茫然…気が抜けて、ぼんやりする様子。
②取り繕う…ごまかしてその場を収める。
ひょうきん…③朗らかで、④滑稽な様子。
疎外感…仲間外れにされているという感じ。
忌まわしい…嫌な感じである。
唆す…悪いことをするようにしむける。
怠惰…怠けていて、だらしがないこと。
ぞんざい…⑨扱いが乱暴な様子。いい加減。
卑劣…性格や行いがずるくて⑪卑しいこと。
僻む…素直になれず、自分だけが不利な状態にあると思う。いじける。
恭しく…慎みのある態度で、礼儀正しい様子。
勤しむ…一生懸命取り組む。励む。
憤り…腹を立てること。怒り。
挙って…みんな⑰揃って。一人残らず。
うらぶれた…⑱惨めな姿になった。
頑な…自分の態度や考えを変えない様子。
淡々と…物事にこだわらず、あっさりとしている様子。

この二十個のうち、十六勝四敗で合格としている。
満点が24人、全体の八割以上が合格している。不合格は13人いたが、あと1点、2点という人も多かった。吾輩がうれしいの一人ひとりがしっかり立ち向かっていたことである。上記の問題を見ていただければわかるかと思うが、正直「中一には無茶なレベル」かもしれない。高校2年生の国語担当者が「うちのクラスでも読めませんよ」と言っていたくらいである。しかし、できるのである。可能性は無限大なのである。

本日はここまで。

 

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招き猫先生の『ことちか日記』H27 11/11

ご無沙汰であった。関東遠征から戻るやいなや、怒涛の後始末に追われていた。まあ言い訳しないで、今後途切れぬよう努めたい。どうかご容赦くだされたしである。

さて、学力推移調査~桜菊祭と両極端なイベントを終え、愛する中一諸君は落ち着いた日常生活に戻っている。長い二学期も残すところあと四十日あまりである。
近頃は、「慣れた」という声もあれば、「疲れる」という声も聞こえてくる。吾輩たち中一スタッフも六人の担任を中心に生徒たちの状況を把握し、心中を察しつつ、指
導を進めていかなくてはならない。

吾輩は、中学校の入学当初に「対抗適応」という言葉をよく使うのだが、簡単に言えば、「当初は、つらく苦しく感じることに対して立ち向かっていく中で次第に適応して、そこまで負担にならない形でこなせるようになる」という成長(伸長)のプロセスのことになる。

高校の特進クラスであるアカデミーコースⅠ類などは、「対抗適応」の例としては最適であろう。高校入学と同時に(教科によってはそれ以前から)質量ともに充実した学習内容をこなしていかなくてはならない。ときには悲鳴があがる(もちろんこれは比喩である)こともある。そのなかで一学期も半ばを過ぎると格段に処理能力や理解力が発達してくるのである。その実感は当人たちにはそこまでないのかもしれないが、校外模試等の結果にも顕著に現れてくるのである。

こんなことを書くと「中学生にもそれを!」というリクエストをいただいてしまいそうである。しかし、中には「宿題が多すぎて心配です」という保護者様もいらっしゃるだろう。

確かに「対抗適応」は成長過程において必要なのである。しかし、「急いては事を仕損じる」も真理なのである。中一諸君に対する「対抗適応」は高校生の二倍・三倍の時間をかけて行うことが大切なのである。

吾輩は生徒たちに「あせらず・あわてず・あきらめず」という言葉を掲げている。吾輩たち教える側も「あせらず・あわてず・あきらめず」を忘れずに取り組んでいきたい。
本日の職員会議の後、中一のスタッフを集めてのミーティングを行う。「どうやって成績を伸ばそうか」の会議ではない。各クラスに「困ってそうな生徒はいないか」「つらそうな表情を見たことはないか」「サポートや面談の必要はないか」という情報を共有しようという話し合いである。これは中一に限ったことではなく、高三から中一まで全学年でやっていることである。

学校全体で厳しい指導にも温かいサポートにも取り組む姿勢が長崎日大なのである。

本日はここまで。

招き猫先生の『ことちか日記』H27 11/1

桜菊祭当日である。
長崎日大は朝早くから、生徒諸君・保護者の皆様・教職員・卒業生・卒業生の保護者様・外来のお客様と大賑わいである。

現在は、朝からの開会セレモニーから、ステージが進み、模擬店や展示会場にもそれぞれに人だかりができている。

吾輩も、空手部のK君が差し入れてくれたホットドッグ~育成会のハヤシライスとお腹を満たしつつ、1年C組の創作劇を見てきた。準備する時間もほとんどなかっただろうに、なかなかの出来栄えであった。みんなの頑張りに少しウルウルする吾輩であった。

これから他の展示や模擬店をまわるのだが、まずひとつ取り上げておきたい。コーラス部のステージである。
もともとコーラス部のステージは大好きなのだが、最初にひとりで出てきた中学1年生男子N君に吾輩驚いたのである。

1400人を超える観客の前での独唱であった。
すごい勇気だと思う。
常々、吾輩を動かすエネルギーは君たちの頑張りと笑顔だといい続けているが、今日のKくんや生徒たちの頑張りを見ていると、1年分のエネルギーが充填できたような気がする。祭りはまだまだ続く。後半の報告はまた後ほど。

とりあえず、ここまで。

招き猫先生の『ことちか日記』H27 10/31

10月も終了し、今年も残すところ2ヶ月となった。文化祭を明日に控えつつ、吾輩のところには、国公立大学の推薦入試に向けての小論文や面接の練習、日本大学の医学部医学科の適性検査対策などをはじめとして、高校3年生が集っている。願わくば、全員が大願を成就してもらいたい。

今年の小論文のトレンドは、後景化して問われるグローバル社会~貧困・世代間格差・教育・3年目の震災・地域社会などなどである。

中でも、吾輩が特に生徒たちに要求するのは、「グローバル化とは?」つまり、その定義と歴史(背景)の理解と自分の言葉で語ることができるところまで仕上げておくこと。そして、「グローバル化にさらされる今後の教育」はこれから(次年度以降も続く)のトレンドといえる。次に「格差社会」これは2006年の流行語大賞である。しかし、この概念は「世代間格差」や「貧困」特に、「絶対的貧困(世界のどの国にも共通するもので、生活に最低限必要な食料・住居などがかけている貧困状態)」「相対的貧困(その国の経済状況によって規定されるもので、人々が普通に暮らしている生活状態を持ちえていない貧困状態)」に表現を変えつつ、継続して慢性的に潜在している。

ざっくり言えば、「グローバル化」と「格差・貧困」という二大テーマや「教育・地域社会」という普遍的社会問題(少子高齢などは言わずもがなである)は、論じる過程において合流するのである。

吾輩たちは、高校3年生の小論文・面接指導のためにあわてて理解に励むのではいけないのである。担当教科の別はなく、常に「自分で飲み込んでおいて、何らかのタイミングで生徒たちに提供する。」ことが大切である。「世界のどこかで、大人の世界で問題になっている私には関係のないこと」という意識のままではなく、生徒たちの日常のリアルとの接点においてタイムリーにわかりやすく説いていくべきだと思う。

そのために、吾輩たちは学び続けなくてはならない。
不勉強が身にしみる秋である。

本日はここまで。

招き猫先生の『ことちか日記』H27 10/30

「文化祭期間中は課題はなし!」という宣言をしたところ、一塾鍛錬SPの提出が増えてきた。

一塾鍛錬とは
吾輩と一緒に国語を学ぶ諸君は自動的に「一塾」の塾生となる。最強の国語を目指して突き進む「一塾」なのである。その中のアイテムのひとつとして存在するのが「一塾鍛錬」という課題プリントなのである。高校生相手であれば「DAILY一塾」と銘打って、まさしく毎日一枚、年間300枚の課題プリント消化となるのであるが、中学校の場合は、年間80~100枚程度の「一塾鍛錬基礎」を実施している。以前にも話したが、それだけでなく「もっとやりたい(という生徒はあまりいないと思うが)」「国語の練習量を増やしたい」という生徒向けに「一塾鍛錬SP(スペシャル)」も並行して実施している。これは厳しく取り立てる(笑)課題ではなく、自主提出であり、取り組みを強要しない。他教科の課題をしっかり終わらせた後に、一枚のプリントに立ち向かい、提出するスタイルなのである。提出後、吾輩が個別に添削し、次の一枚をつけて返却する。いわば、国語演習のキャッチボールである。

中学校生活が落ち着いた1学期後半からスタートしたが、早い生徒は其の五十に近づこうとしている。全員で取り組む一塾鍛錬基礎が現在其の三十四であるから中一終了時には200枚程度の消化となるだろう。実に一般的な問題集10冊分である。

さて、その効果は、現在の高校1年生は中二の半ばから「鍛錬」を開始した。中学校終了時に、其の二百四十をクリアした生徒が最高だったかと思う。おそらく、其の百をクリアした生徒の中で校外模試等で困っている人は存在しない(というよりも国語の実力はトップレベルとなっている)と思う。

「ただ枚数をこなすだけで効果があるの?」という疑問を抱かれる方もいらっしゃるであろう。当然、授業での理解や定期考査・小テストにおける知識の習得があれば鬼に金棒ではある。がしかし、「鍛錬」において「読み慣れ」「解き慣れ」の効力は絶大なのである。国語は一枚やったから一枚分、十枚やったから十枚分というようにその力の伸長が可視化されるものでも実感されるものでもない。それでも「鍛錬」は確実に「力」となるのである。

古の剣豪、宮本武蔵の『五輪書』に「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とす。能々吟味有るべきもの也。」という台詞がある。
「鍛錬」という言葉はもともと金属を鍛え練り、刀剣に仕上げていくことをいう。武蔵はこれを「鍛」と「錬」に分けて表現している。巷間、スポーツや芸事など千日(三年)の修練を積むことで本物の技量として身につくと言われている。もちろん、何事も終点はないのだろうが、「私はこれをやりました」という経験を語るための最低条件と考えればよいだろう。さらに万日(十年)となれば、その巧拙はともかくとして「私はこれをやってきた」といっても誰に対して恥じることはあるまい。

その考え方から発展して、「百回では身につかない質的な変化が、千回やれば起こる。千回では見られない結果が万回なら信じられないほどのレベルアップを見せる。」と言われている。
つまり、

 

「量が蓄積すると質的な変化が起こる。」

「愚直な努力の継続が質量転化をもたらす瞬間がある。」

 

ということなのである。

 

吾輩は、それには二つのポイントがあると考える。

「やらされるトレーニングではなく、自ら求めての取り組みであること」「単なる反復練習ではなく、知識と論理的思考が加わること」、この二つである。

生徒諸君に起こる大いなる質量転化を期待している。

本日はここまで。

 

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