招き猫先生の『ことちか日記』H30 12/27

吾輩が授業で教えるのはもちろん「国語」の知識である。しかし、近年、「根拠」「論理」「思考」という言葉を多用するようになった。

「国語」のみならず、「ものを学ぶ」ということは知識だけではなく、「考える」ということが肝要であることは至極当然のことである。

しかし、特に「取り組み方」「考え方」というものを多く語っているような気がする。本日のとある授業においても
「今、私が示したのは取り組み方・考え方のひとつのパターンであって、このようにしなければならないというものではない。」「基本として理解してほしい。」「その上で自分なりの考えるパターンなどを構築してね。」などと生徒諸君に語った。

ついでに脱線して、「守破離」という言葉についても語ってしまった。吾輩が生徒諸君に求めるものである。

【守破離とは】剣道や茶道などで、修業における段階を示したもの。「守」は、師や流派の教え、型、技を忠実に守り、確実に身につける段階。「破」は、他の師や流派の教えについても考え、良いものを取り入れ、心技を発展させる段階。「離」は、一つの流派から離れ、独自の新しいものを生み出し確立させる段階。

本日はここまで。

 

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招き猫先生の『ことちか日記』H30 12/26

冬季進学講座においては、先般述べたように「漢文特集」展開中である。

じっくり「漢文」の問題に取り組んでみると、その論理的展開に改めて気がつく。主語や会話部分の明示は日本語の文章表現においては「くどい」と言われそうである。どちらかと言えば「英語」に近いかなと。

現在、愛する高校1年1組、2組諸君に対して、しつこくしつこく言っているのは「漢文の問題をいきなりやみくもに解き始めることなかれ。」ということである。なぜなら、世の高校生たちが漢文の問題文をふむふむと訓読し、その内容を把握するということは至難の業であるからである。

問題文以外の①リード文(問題文の前についている説明の文章)、②問いの文言、③選択問題の選択肢、④語注などなど、問題文の内容理解の助けとなるものが結構提示されているのである。これは漢文に限ったことではないが、特に漢文の問題に顕著である。

よって、これから自分が読む漢文の問題文は「こんな流れで、こんな感じの登場人物が出てくるようだ。」「その中でこんなやりとりがあるはずだ。」「この部分はこう読むんだな。」といった「あたり」をつけて読むことができる。これは、やみくもに読み始める人と比べるとかなりのアドバンテージとなる。

「仮説を立てる」「推測する」という行動は高校生が今後において、より高度な学び、研究、実践に取り組む場合に必要不可欠となるものである。ただし、それが「思い込み」「決めつけ」となったら危険である。

「仮説」「推測」と「思い込み」「決めつけ」は非常によく似ているが全く異なるものである。その違いは何か。拙ブログをご覧いただいている皆様はすでにおわかりかと思うが、そこに「根拠」「論理」が存在しているか否かということになる。愛する高校1年1組、2組諸君が「漢文」の学習を通して、「仮説」「推測」「根拠」「論理」というものを考える「思考習慣」を身につけてほしいなと切に願う吾輩である。

本日はここまで。

 

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招き猫先生の『ことちか日記』H30 12/25

長崎日大の年中行事となっている二瓶弘行先生の「国語科公開研究授業」と「学ぶ会」が明日に予定されている

10年前から始まったこの取り組みは主に夏休みの恒例行事として進めているのだが、今年は夏の陣・冬の陣ということで間隔を開けての実施である。

お忙しい二瓶先生なので、なかなかゆっくり時間をいただくことができないのでだが、今回は前日入りなさるということで、今夜はたっぷりお話を聴くことができるかなと期待している。

年に1度、6年前からは年に2度なのだが、二瓶先生と個人的にお話をさせていただくこと、二瓶先生の授業を拝見すること、学ぶ会でのご教授をいただくことは吾輩にとって「国語教師としての根源的な部分への刺激」である。さらに「言葉の力」の大切さを改めて肝に銘じる学びの機会である。

明日が楽しみである。

本日はここまで。

 

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招き猫先生の『ことちか日記』H30 12/24

本日は「クリスマスイブ」である。

吾輩ほどの年齢になると「クリスマスイブ」という響きも遠い遠い昔むかしの思い出(しかも拙ブログで語ったように学生時代のクリスマスは男ばっかりで忘年会をしていた記憶しかないのだが)となってしまっているのであるが、

学校に来てみると、高校3年生の有志が来ていた。アカデミーコースⅡ類の担任である「静かなる闘志」中田先生と「闘将」塩谷先生の姿が一緒に見受けられたので、「Ⅱ類の生徒さんかな。頑張っているなぁ。」と。

吾輩が一仕事終えて帰ろうとしていると「先生、クリスマスだから」とお菓子を持ってきてくれた。おそらく自分たちのおやつとして持ってきていたのだろう。そこに吾輩の姿(お腹を空かしているように見えたのかも)が見えたので恵んでくれたに違いない。勝負のセンター試験まであと26日である。余裕のない中での優しさが嬉しい。長崎日大の生徒らしい温かさを感じる吾輩であった。

メリークリスマス!君たちへのサンタからのプレゼントは必ず3月に届くよ。

本日はここまで。

 

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招き猫先生の『ことちか日記』H30 12/23

昨日に引き続き、漢文についてである。

受験の国語においての「漢文」の存在は特異なものであり、特に「センター国語」においてはその得点源として有効である。というのは巷間よく耳にする言葉である。

吾輩が、長崎日大の国語科の先生方が「漢文」に力を入れるのもそこに根拠があるのだが。もうひとつ、大切なことがある。それは「漢文」は「日本語の源流」であるということだ。なんだかんだ言っても「漢字・漢文」によって「日本の書き言葉」の礎が形成されたのは確かである。

よって「漢字・漢文」をしっかり学び、味わうことは「受験対策」というよりも「文化的な体験」として重要なことなのである。

古の日本人、歴史上の偉人とされる方々が創作した「日本漢文」も多く残っている。例えば、今年の大河ドラマで改めて注目された西郷隆盛の『偶成』という漢詩である。

偶成
幾歷辛酸志始堅 丈夫玉碎恥甎全
我家遺事人知否 不爲兒孫買美田

訓読してみよう。

幾たびか辛酸を歴(へ)て 志始めて堅し
丈夫 玉と砕くるも 甎全を恥づ
我家の遺事 人 知るや否や
児孫の為に美田を買はず

本日はここまで。

 

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