招き猫先生の『ことちか日記』H30 9/13

昨日恥ずかしながらの誕生日の話をした。その続きである。

昨夜は、諫早市の某所にて集合であった。吾輩の誕生日を口実にして、良からぬ面々が集まった。画像はそのときに食したものの一部である。最初は写メっていたのだが食べ進めるにつれて写すのを忘れてしまった。

 

年齢は20代から50代まで、職業も様々である。長年、教員をやっているのでその関係、つまり教育関係の方々とのおつきあいも少なくはないが、一般的な先生方と違って異業種の皆さんとのおつきあいが多いことは吾輩という人間の特色かもしれない。

このような集まりの時に必ず言われることがある。「日大の生徒の自慢が多いなぁ」というセリフである。

吾輩は胸を張って言い返す。「だって日大の生徒たちはいいんだから仕方ない(笑)」と。今年度授業に行っているクラスの皆さんはもちろん、直接は関わっていない生徒の皆さん、中学生も高校生も皆さん素敵である。

もちろん、生徒全員が成長過程である。失敗することもあれば、何となくうまくいかないこと、良くない態度をとってしまうこともあるだろう。

しかし、それを乗り越えて前進しようとしている姿を、教室・校舎・体育館・グランド、様々なところで目にするのである。

生まれてきてくれてありがとう。日大に来てくれてありがとう。色々あっても頑張ってくれてありがとう。


本日はここまで。

 

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招き猫先生の『ことちか日記』H30 9/12

有り難し!である。

本日、恥ずかしながら吾輩齢55の誕生日である。自分ですら意識していなかったのであるが、某クラスの授業に赴いたところ、ハッピーバースデーの合唱とプレゼントを頂戴した。

 

何だか、とてもとても嬉しかった。
「先生」という職業、なかなか難しい時代だけど、やっぱりいいなぁと。
単純な55歳である。

  


本日はここまで。

 

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招き猫先生の『ことちか日記』H30 9/10

先週の土曜日のことである。旧知の教育関係者からの紹介で、とある講演会に参加してきた。

画像のように、新装なった「九州大学伊都キャンパス」にて、九州大学大学院システム情報科学研究院情報理学部門教授である竹田正幸先生の「今、求められる力とは 言語力∞大学」というタイトルでの講演を拝聴した。

その内容については今後も触れていきたいが、「どれだけAIが発達しようとも、どうしてもAIができない領域は存在する。」「それこそが『言語力』『読解力』と呼ばれるものである。」「しかし、現在の大学生の実態から鑑みるとその力が低下しているように思われる。」「つまり、AIが及ばない人間ならではの領域を人間が失いつつあることを危惧している。」というくだりに、吾輩は強く共感した。

同時に、吾輩たちのように言の葉を生業とする国語教師の立場で、言語力・読解力の重要性を力説するのではなく、理系の、しかも情報科学の専門家がそのようなことを訴えていただくことは実に説得力があるなぁと感じた。

「この教授のお話を長崎日大の中学生・高校生、保護者の皆様に聴かせたい。」と思い、さっそくご挨拶と交渉に臨んだ。「直近では難しいが、来年度以降であれば」というお言葉をいただくことができた。

皆様、乞う!ご期待である。


本日はここまで。

 

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招き猫先生の『ことちか日記』H30 9/7

本日は、先般実施した「中学校の先生方を対象とした入試説明会」の県北方面を除く、県内オール版の第1回である。諫早・長崎・大村・島原と数多くの中学校の先生方にご来校いただいた。

吾輩も、先日佐世保に出動した「入試グループ」も全員緊張した面持ちで挑んでいた。

途中休憩の時に声をかけてくれたのが、長崎日大の卒業生、吾輩の初めての担任の生徒であり、高校3年間の国語の授業を担当したN君であった。いや、N先生であった。高校時代は柔道部の猛者として鳴らし、日本大学文理学部国文学科に進んだ。長崎日大→日大の国文とここでも吾輩の後輩となる。既に30年ほどの歳月が流れてはいるが、今や立派なベテラン教師である。(余談ではあるが、N先生は日大国文科時代、本校の今井教頭と同級生であり、国文や中国語の学び(おわかりいただけるかな)などを通して親交を深めていたそうである。)これもまた「ご縁」である。

吾輩たち教職に就く人間にとって「自らの教え子が教職を目指す」ということは大きな喜びの一つであるが、特に自分の教科(吾輩の場合は国語)の教員になってくれるということは、その最上位に位置するものである。そしてさらに、現在本校の国語科の教諭として大活躍している東川先生もそうであるが、高校時代の3年間すべての国語の授業と指導を担当した生徒であれば尚更である。

果たして自分はどれだけのことを伝えていたのだろうか。ちと不安になることがある。おそらく現在の吾輩よりももっと拙いものであったはずである。しかし、前述のN先生にしても、東川先生にしてもある日あるときのふとした吾輩の言動を覚えていて話してくれるときがある。

有り難しである。今月で齢55歳を迎え、カウントダウンが始まった教員人生であるが、「国語の先生」としてわずかながらでも生徒さんたちの心に「言葉」を残したいものである。


本日はここまで。

 

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招き猫先生の『ことちか日記』H30 9/5

本日は、中学校・高校ともに「校内実力考査」である。長崎日大の学期初めの「実力考査」の内容は、基本的に「長期休暇中の進学講座や課題の修得確認」である。

さて、吾輩が担当している高校1年生クリエイトコース(高1までは日大中からの内部進学者のみ)とアカデミーコースⅠ類(外部からの入学者で構成)はこの夏の進学講座と学習合宿において徹底した「古典文法の助動詞」が主たる出題内容であった。

古文単語20%、用言の活用20%、残りの60%が助動詞、しかもその半分は高校2年生以上でも容易ではない内容であった。

50分の試験時間をフルに使っても終わらない生徒がいるレベルの問題であったが、2クラスの平均は75%に到達した。個人差はあるが吾輩の予想を超えるものであった。満点は出なかったが最高点は99点、見事なものである。現段階において、高校1年生上出来である。

助動詞の理解は、「最低限の部分を暗記すること」が必要である。しかし、単なる暗記では行き詰まる。論理的に考える、数学の場合分けに似た思考の展開が必要なのである。そしてさらに、明確な公式めいたものとファジーな「どっちかといえばこっちかな」「前後の内容からしてこっちがいいかな」という実に曖昧なものが混在するのである。今も昔も高校生が古典文法に挫折するランク第一位ではないだろうか。

吾輩は助動詞の学習を通して、古文読解以上に「物事に対する考え方」を学んでほしいと常々思っている。

「何を学ぶか」も大切であるが、「どのような意識で学ぶか」が非常に大切なのである。


本日はここまで。

 

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